大判例

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東京高等裁判所 昭和32年(う)1918号 判決

被告人 井上勘一 外三九名

控訴人 検察官 山本清二郎

検察官 八木胖

主文

原判決を破棄する。

被告人井上勘一、同川久保正夫、同粟竹時雄、同水口巌、同庭田直道、同岡本庄次、同荻野利義、同高橋輝男、同井上広恵及び同新保陸郎を各懲役一年六月に処し、被告人岡本一美、同石田広久、同井上政吉、同石井貞雄、同野村正雄、同鈴本嘉一、同島田一男、同内村幸一、同小林定雄、同鈴木保雄、同斎藤喜作、同湯山栄二、同羽切寅男、同工藤武男、同相沢甲子夫、同永峰修次、同山岸平吉郎、同関富雄、同鈴木千代次同露木富一、同砂山和男、同青木義一、同穂坂隆、同市川晃、同三村善一郎、同本郷敏男、同杉崎辰治、同椎野盛一、同三橋奎次及び同鈴木文平を各懲役一年に処する。

但し被告人全部に対しいずれもこの裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

理由

本件控訴の趣意は末尾に添付した横浜地方検察庁検事山本清二郎作成名義の控訴趣意書に記載されているとおりであり被告人らの答弁は、弁護人山内忠吉、同岡崎一夫連名作成名義及び弁護人馬場数馬作成名義の各答弁書記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

検察官の控訴の趣意第一点及び第二点について

原判決が被告人らの業務妨害の犯行として認定した事実によれば、被告人らは共謀の上、国鉄労働組合横浜支部東神奈川車掌区分会及び同支部東神奈川電車区分会等の同盟罷業により、京浜東北線の電車運行が停止されていた昭和二十四年六月十日、国鉄当局の業務命令に服することなく、その管理を排除し、東神奈川駅において信号掛の職員に強要して信号を変更させる等の方法により、ほしいままに六輌編成電車を被告人砂山が運転して同駅収容線から引き出し、「人民電車」「赤羽行」等の表示をつけ、他の被告人の一部もこれに乗車し、同日午後六時二十分ないし二十四分ころ同駅を発車し、赤羽駅までの間を往復運転し、更に東神奈川駅において被告人三村が代つて運転し、同駅と桜木町駅との間を往復運転し、また翌十一日午前七時三十六分ないし三十八分ころ、前同様国鉄新橋管理部の業務命令に反し、前同様の方法により、被告人本郷が運転して、東神奈川駅収容線から六輌編成の電車を引き出し、前同様の表示をつけ、他の被告人の一部がこれに乗車して同駅を発車し、鶴見駅まで運転したというのであつて、なお記録及び当審の事実審理の結果によれば、被告人らが六月十日右人民電車を運行させたため、国鉄新橋管理部をして品川駅、上野駅等において他の電車の運転整理を実施し、数本の山手線電車の運行を停止させ、又田町駅田端駅間の山手線、京浜東北線併用区間において、他の電車との時隔を特に短縮せしめる事態を生じたこと、並びに六月十一日の人民電車は、新橋管理部の指令により、送電を停止する措置により、鶴見駅において停車させられたものであることを認めることができる。

そこで右人民電車の運行により、電車の往来に危険を生ぜしめたか否かを審究するに、刑法第百二十五条の電車往来危険罪は、何らかの方法により、電車の衝突、脱線、顛覆等安全な電車の往来を妨げるおそれある状態を作為することによつて成立するものであり、その事故発生が必然的、蓋然的たることを要せず、もとより実害を生ずることは必要としないものと解すべきところ、原判決は先ず、業務命令に反して電車を運行させても、事故防止に関する諸規則、慣行に従つて運行している限り、たとえ危険が発生してもそれは違法の危険ではないとし、人民電車の場合は、正規の資格を有する運転士、車掌が乗車し、これらの者が業務上必要な注意を用いて、しかも国鉄所定のダイヤに基いて運行させたこと、六月十日の人民電車の運行により、他の電車の運転整理、時隔短縮、一閉塞区間二電車存在等の事態が生じたが、業務命令に従つて運行する正規の電車の場合でも、事情により運転整理を行うことあり、また一閉塞区間二列車存在、又は時隔が一、二分に短縮される場合もあるのだから、これらの事態が生じたからといつて六月十日の人民電車の運行が違法な危険を生ぜしめたとは認められない、六月十一日の場合は前記同盟罷業により、人民電車の前後を運行する電車がなかつたのであるから電車の往来に何等危険を生ぜしめた事実はないという判断、認定をしている。

原判決のいうところの違法の危険とは、その意義が明瞭でなく、真意を理解し難いのであるが、刑法第百二十五条の罪の違法性は、電車の往来に危険を生ぜしめる行為に対する価値判断であるから、原判決が行為によつて生した危険を行為から切り離し、これを評価の対象とし、その危険の態様又は程度によつて違法性を有する危険と然らざる危険とに区別し得るものとし、前者の危険を生ぜしめた場合に右の罪が成立すると解釈するのであれば、その解釈は誤といわなければならない。また原判決は前記のように、業務命令に反して電車を運行させる場合でも、正規の資格を有する運転士等が乗車し事故防止に関する諸規則、慣行に従い、且つ業務上の注意義務を尽して運行させた場合は、たとえ危険が生じてもその危険は違法ではないという趣旨の判断をしているので、原判決の見解は、あるいは右のような行為は、違法性がないという趣旨か、又は右のような行為によつて生じた危険は刑法第百二十五条の危険に該当しないという趣旨とも解される。しかし正規の資格、技能を有する者が事故防止に関する諸規則、慣行に従い業務上の注意義務を尽して電車を運行せしめる場合は、具体的のその場合に電車の顛覆、衝突等の事故発生の必然性、蓋然性が少ないことを考え得るに止まり、その行為が常に違法性を欠くと断定することはできない。右のような危険を生ぜしめた行為が違法性を有するや否やは事故発生の必然性、蓋然性の有無、強弱に関係なく、これを離れて行為全体が法秩序に反する性質を有するや否やによつて決すべき事柄であるからである。また刑法第百二十五条の危険とは前記のように、電車の安全な往来を妨げるおそれある状態、即ち顛覆、衝突等の事故発生の可能性ある状態をいうのであつて、その危険の態様、程度を問わないものと解すべきであるから、危険自体の態様、程度によつて右法条に規定する危険に該当する危険と然らざる危険とに区別する見解は正当とはいえない。

記録並びに原審及び当審において取り調べた各証拠によれば、国鉄のような高速度交通機関の大企業においては、その企業自体の性質上常にある程度の事故発生の危険を伴うものであるから、その企業の運営については、運輸事業としての本来の目的を可及的効果的に達成する方策を講ずる外に、事業に伴う危険をでき得る限り未然に防止するため、一面にはすべての設備、施設、機関についてあらゆる危険防止の方法を講じ、運行する列車、電車については正確、詳密な運転計画を樹立して実施し、その計画を関係従業者に周知徹底させ、なお従業者に対しては各自の職務遂行に過誤が生じないようにするため、十分な訓練と服務規律遵守を励行させることを要すると同時に、他面にはこれらの施設、設備、機関、従業者のすべてを統括機関において掌握し、全企業がその機関の統制の下に完全な秩序と調和とを保ち、全一体の有機的連繋をもつてその事業の運営を行つていることが明瞭であり、かような組織と秩序と運営があつてはじめて危険を伴うこの企業が正当な行為として国家的社会的に承認されて違法性を阻却するものというべきである。それ故たまたまその企業体の一部の従業者が、列車、電車の運行に関する統括機関の統制に背き、業務命令に反し、定められた運転計画に従わず、ほしいままに電車を運行させるという如き所為に出ることは、単に企業体内部の形式的規律違反たるに止まらず、全一体たる企業の有機的連繋と秩序とを破壊し、定められた運転計画をみだし、列車、電車の運行をそごさせて混乱を生ぜしめるのみならず、企業の他の作業部門、例えば、踏切、電力、駅構内の作業等にも混乱を生ぜしめ、そして、これら各方面の混乱が高速度交通機関たる列車、電車の事故発生の原因となり得るものといわなければならない。従つてかような所為は正当な業務行為たる本質を喪うと同時に、電車の運行について顛覆、衝突その他の事故を発生せしめるおそれある点において刑法第百二十五条の犯罪の違法性を具備するものというべきである。

本件においては、前記のように被告人らが統括機関たる新橋管理部の管理を排除し、その業務命令に背き、ほしいままにいわゆる人民電車を運行させたのであるから(たとえ人民電車が国鉄ダイヤ所定の時刻に運行したものであつても、それは国鉄の運転計画に従つたものではなく、単に被告人らがダイヤの時刻と同時刻に運行させたに過ぎないこと、証拠上明白である)それに乗車した被告人らの資格、技能の如何を問わず、その所為はもとより正当な業務行為とは認められず従つて右人民電車の運行により電車の往来に際して顛覆、その他の事故発生のおそれを生じさせれば、被告人らの右所為は刑法第百二十五条に該当するものというべきところ、前記のように六月十日の人民電車運行により、山手線電車の運転計画にそごを生じ、運転整理による一部電車の運行停止、田端、田町両駅間においては運転計画に定められた時隔を短縮させる等の事態を生ぜしめ、六月十一日の人民電車の場合は国鉄当局をして前日の事態に鑑み鶴見駅において送電停止の処置をとらしめたのであつて、これは即ち被告人らが人民電車を運行させたことにより、国鉄の運転計画及び作業の一部に混乱を生ぜしめ、電車の往来について事故発生のおそれある事態を生ぜしめたものと断ぜざるを得ない。なお六月十一日の人民電車運行当時は前記同盟罷業により、京浜東北線上、人民電車の前後を運行する電車がなかつたことは明らかであるが電車の顛覆、破壊、脱線等の事故は、原判決のいう如く運行電車自体の運転、あるいは運行電車と他の電車との間又は他の電車相互間に生ずる原因のみによつて発生するものではなく、運行電車の進路における踏切、電力、駅構内の作業、施設及び一般交通者と当該運行電車との間に生ずる事態も原因となつて発生するおそれあること経験則上明白であるから、たまたま同盟罷業により、京浜東北線上を運行する他の電車がなかつたからといつて電車の往来に事故発生のおそれが全くないとは断定できない。またたとえ原判決のいう如く、電車の運転整理、一閉塞区間二列車存在、時隔短縮等の事例が通常の電車運行の場合にも存在するとしても、そもそも電車の運転整理は正規の運転計画に基く電車の運行が何等かの事情によつてみだれ、ダイヤ面のとおり正確に運行することができなくなつた場合、そのことによつて事故発生のおそれがあるので、これを未然に防止するために統括機関においてとる応急措置であり、また運転計画に基く平常の電車間に特に時隔の近接する場合には厳重な条件を定めて事故発生を防止する方法を講じているのであつて、即ちこれらの場合はいずれも電車の運行について危険が予想される特別の場合であること証拠上明白である。それ故本件人民電車の場合に統括機関が運転整理、送電停止等の措置をとつたことは、人民電車の運行が、電車の往来に危険を生ぜしめた証左に外ならないのであつて、通常の場合にも運転整理、時隔短縮等の事例があるから、本件人民電車の場合も危険が認められないとか、違法でないとかいう原判決の見解は失当である。むしろ通常の場合においては、運転整理の原因となる電車も、整理を受ける他の電車も、又時隔短縮の各電車も、すべて運転計画に基く正規の電車であるから、統括機関において十分これを掌握しているのであり、他の電車又は作業の関係者にも予期されているものであるから、時隔短縮、運転整理等によつて甚しい混乱を生ずることなく、統括機関もダイヤに基き関係電車の状況と睨み合せ、迅速適確な方法を講じて事故発生を防止することができるのであるが、統括機関の掌握せずその命令に従わない本件人民電車については、同機関としてはその運行の目的、方法その他同電車に関する状況は一切事前にこれを知ることができず、従つて事前に迅速適確な計画を樹てて関係方面に指揮連絡することが不能であり、わずかに各方面からの事後報告をうけて応急的に事故防止の手段を講じたに過ぎないこと証拠上認め得るところであつて、同じく時隔短縮、運転整理といつても、本件の場合は通常の場合に比し、一層高度の危険が生じたものといわなければならない。

要するに原判決が前記のように被告人らの人民電車の運行が国鉄の業務を妨害した事実を認めながら、電車の往来に危険を生ぜしめた事実がないと認定したのは、法律の解釈を誤り、延いて事実を誤認したものであつて、この誤認は明らかに判決に影響を及ぼすものと認められるから、論旨は理由があり、原判決はこの点において全部破棄を免れないものである。

(その他の判決理由は省略する。)

(裁判長判事 中村光三 判事 滝澤太助 判事 久永正勝)

検察官検事山本清二郎の控訴趣意

第一点原判決(差戻し後の第一審判決を指称する)は、本件人民電車の運行は、刑法第百二十五条所定の電車往来危険罪の構成要件である危険を生ぜしめたとは認め難いので、電車往来危険罪の訴因は証明なしとして、その点につき無罪の認定をしているのであるが、原判決は、同上の危険を生ぜしめたという規定の解釈を誤つているものと思料する。

即ち、原判決は判決理由に、人民電車第一号の運行により上野駅、品川駅で通常の電車の運転整理がなされたこと、並びに第一号電車の運行により山手線、京浜線、(特に田端、田町間の両線併用線区間)において、第一号電車と他の電車との間の時隔や他の電車相互間の時隔が一分乃至二分(前記併用区間においてさえ電車と電車との当時の通常時隔は四分)に短縮した場合の生じたことを認めながら、このような事態は電車の衝突、転覆、脱線、破壊等の実害を発生すべき虞れのある状況を作為したものとはいえないと結論しているのである。

而してその理由として「現代に於ける高度に発達した交通機関の運行は迅速を以てその一大要素としており、これあるが故にこそ吾人の社会生活に大きな寄与を齎すのであるが、此の迅速なるものはまた交通機関より生ずるあらゆる危険の根源であつて、しかも幾多の施設工夫、努力に拘らず厳密に云えば必然的に若干の危険を随伴することを免れないので、その総てを捉えて違法と見ることは到底交通機関に対する吾人の社会的要請を満す所以ではない。然らば以何なる程度の危険を以て違法となすかは、それの運行によつて生ずべき危険の発生を防止するために遵守することを要する諸法規乃至慣行の許容する通常の状態を逸脱するか否かによつて決するのを相当とすべきである。少くとも右の通常の状態内のそれを違法として所定往来危険罪の危険に該当すると為すことは甚しく交通機関の実状に乖離する過酷の解釈であつて、法の真精神に合致しないものと云わなければならない。」と判示している。

原判決摘示の如く現代の科学の発達と共に交通機関が益々スピード化されてゆき、それと共に危険が増大していることは論ずる迄もない所である。吾々はその総てを捉えて違法と見ることの不可なることもよく諒解できるものである。ところが、原判決が危険の程度如何によつて、違法なるものと違法でないものと区別しようとする考え方には到底これを是認することはできない。

何となれば、先ず第一に「危険の発生を防止する為に遵守することを要する諸法規乃至慣行の許容する通常の状態」とは具体的には如何なる状態を指すものであるか、極めて不明確であるからである、危険なる概念は多分に物理的、科学的な因果律に応じて判定せられなければならない。

因果律から見た危険なる概念を通常の状態を逸脱するかどうかによつて違法なるものと然らざるものとに分けることが果して可能であろうか。危険なのは状態如何に拘らず危険であらねばならない。それを違法と見るか見ないかは危険そのものに区別があるからではなく、危険な行為に対し法律的に価値判断を加えて見て、その行為が違法性を持つものか否かが決められるべきものなのである。即ち、通常交通機関の運転等に依り、危険な状態は屡々発生するのであるが、それが違法性を有する行為に因り発生するものなのか又は正当な業務乃至法令に基く行為により換言すれば違法性が阻却された行為により発生したものであるかにより危険罪の有無が判定せられねばならないのである。事は刑法第三十五条の違法性の問題であり、通常乗客の混乱等の為、電車の整理が行われるのは、要するに危険の防止のためであり、かかる危険の発生は往々日常発生しているけれ共これは正当業務行為として刑法上違法性の阻却により犯罪が成立せず不問に附されているに過ぎないのであつて危険が危険でなくなるわけのものではないのである。されば危険そのものに区別を認めようとする原判決の見解は、刑法第百二十五条所定の危険を生ぜしめたという規定の解釈を誤つたものであり、又同見解は従来の判例に従わない違法なものといわねばならない。

そこで危険についての判例をみるに、大正九年二月二日の大審院判例(大審刑録二六輯一七頁)によれば

刑法第百二十五条に定むる往来危険罪は、実害罪に非ざるを以て苟くも犯人の行為に依り汽車、電車又は艦船をして顛覆、脱線、衝突若くは覆没等の災害に遭遇すべき虞れある状態を生ぜしめたる場合に成立するものにして、具体的に実害を生じたることを必要とせず、原判決は被告一三が判示野上軽便鉄道の軌条上に長さ約四寸五分、幅約三寸、厚約一寸五分の石を置き又被告義兼が同鉄道重根駅構内の待避線と「トングレール」の突線路に幅三寸余、厚一、二寸余、長さ四寸余の粟右一箇を挿入し、孰れも電車往来の危険を生ぜしめたる事実を判示し、之に認むるに足る証拠を挙示せるを以て所論の如く危険の程度模様等の具体的事実の判示をまたず、被告等の行為が前示法条の罪を構成すべきこと明らかなりし故に、もしその後に至り具体的に危険発生せず電車は実害を被ざりし所論の如き事実ありとするも之により本件犯罪の成否に影響を及ぼすものに非ず。

と判示しており、本罪が現実に危険の発生したことを要しないいわゆる実害犯でない点を明らかにしており、更に大正十一年十二月一日の大審院判例(大刑集一巻七二一頁)によれば

刑法第百二十五条に所謂汽車又は電車の往来に危険を生ぜしむる行為とは普通の観念において汽車又は電車の完全なる往来を妨害すべき結果を発生せしむべき可能性ありと認むべき行為を指称するものにして、必然的又は蓋然的に危険を生ぜしむべき行為たることを要せず、故に原判示踏切板と軌道との間にある電車の車輪、通過する溝に小石一個を入れたる被告人の行為の如きは、必然又は蓋然に電車の往来に危険を発生せしむべきものと断定するを得ざるべしと雖………諸般の事情に因り電車をして脱線顛覆又は進行の障碍その他の事変を惹起せしむる虞れなしと言うべからず、然れば被告人の判示行為は之を普通の観念に訴え絶対的に電車の完全なる往来を妨害する結果を発生せしむべき可能性を有せずと論ずるは当らず。

と判示し、以て本条の危険を生ぜしめるとは危険を生ぜしめる可能性があれば十分であつて、絶対に危険を生ぜしめることが不可能なる場合は兎も角可能である限りは可能性の強弱及び蓋然性の程度を問わないものである趣旨を明らかにしているのである。

右の両判例と同趣旨の判決は

大正十一年四月十日   大審院判例 (刑集一巻二一六頁)

同年六月十四日     同判例   (刑集一巻三四一頁)

同十三年十月二十三日  同判例   (刑抄録三巻七一一頁)

昭和二年四月十二日   同判例   (刑集六巻一三八頁)

同年九月三十日     同判例   (新聞二七五九号一一頁)

同九年十二月二十一日  同判例   (新聞三七九六号一一頁)

同十三年十一月二十四日 同判例   (新聞四三五四号一二頁)

等多数があり、いずれも一貫した判例の解釈であつて、本件差戻し前の旧第一審判決を破棄した昭和二十六年十月三十日の東京高等裁判所も前記諸判例を踏襲して

刑法第百二十五条の電車往来危険罪は、電車の衝突、脱線、顛覆等の事故を生ずべき虞れのある状態を作為することにより成立し、必然的又は蓋然的に危険の発生すべき場合であることを要しない。

と判示しており、同条の解釈については判例上極めて明らかであるといわねばならない。

然るに原判決が前掲の如く諸法規及び慣行の許容する通常の状態を逸脱したものでなければ、刑法第百二十五条の危険ではないとなし、危険の強弱に程度を区別し、違法なる危険と然らざる危険を区別せんとすることは、前記諸判例に反し独自の解釈に基くものであり、危険が必然的蓋然的なものであることを要せず、危険発生の可能性ある状態を作為するを以て足りるとの解釈を不当に狭く解釈したものであつて、到底吾々の首肯することの出来ないものである。

更に又原判決がその理由中に「しかも現に本件において具体的危険を見なかつたのみでなく、右に示した国鉄の規程乃至ダイヤ面に基く運行により、特に危険の発生を見たという証左もない点からもこのことは裏付けられるのである。」となし、あたかも刑法第百二十五条の危険罪が実害犯であるとの見解をとつているものと推測される如き表現をしているのであつて、若し実害犯と解するならばそれは全く同条にいわゆる危険の解釈を誤つたものであつてその誤りに基き、電車往来危険の訴因について無罪を言渡したものと言わざるを得ない。

これを要するに、原判決は刑法第百二十五条の解釈を誤り、因て法令の適用に誤りがあつて、その誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかであるので破棄せらるべきものと思料するものである。

第二点原判決が電車往来危険の公訴事実に対し、無罪の判決を言渡したのは、判決に影響を及ぼすこと明らかな事実の誤認である。原判決は電車往来危険罪の訴因中

第一、被告人井上政吉等は数十名と共に、昭和二十四年六月十日午後六時半頃より午後十時四十七分頃迄の間六三〇三七電車等六輌編成電車を東神奈川駅より赤羽駅迄、更に赤羽駅より桜木町駅迄及び同所より東神奈川駅迄の間を運転進行せしめ、その間正常に運転せられていた、国鉄山手線電車軌道と併用区間あるため、山手線ダイヤを混乱せしめ、遂に新橋管理部等国鉄当局をして衝突等の危険を防止するため、山手線電車の運行を数本停止するの已むなきに至らしめたこと(いわゆる第一号電車の運転)

第二、被告人相沢甲子夫等は外数十名と共に同月十一日午前七時三十分頃前日同様右六輌編成電車を運転して東神奈川駅を出発し、同日午前七時四十八分頃鶴見駅迄至つたこと(いわゆる第二号電車の運転)

の事実を認定しながら、その第一号電車、第二号電車の運転と共に電車の往来に危険を生ぜしめたものではないと認定しているのである。

而して、原判決は電車往来危険の態様を三つの場合に別けて考察している。即ち

〈1〉 運行する電車自体の脱線、顛覆、破壊によつて発生するもの

〈2〉 運行する電車と他の電車との衝突又はこれを防止するために発生する他電車の脱線、顛覆、破壊

〈3〉 運行する電車のために生ずる他の電車相互間における衝突

であるとなし、本件人民電車の運行を右三つの場合に当てはめて結局その三つの場合共にいずれも危険が発生しなかつたと認定しているので、その各場合について原判決の見解を検討する。

一、原判決は、前記(一)の運行する電車自体の脱線等による危険発生の有無の点について、本件六月十日の第一号電車及び六月十一日の第二号電車は共に東神奈川電車区所属の運転士により運転せられ、同車掌区所属の車掌が乗務して運転せられ、第一号電車については、国鉄所定の運行表にもとずき十八時十五分発東神奈川駅発赤羽行とせられ、帰途は赤羽駅発一九七三Aの所定運行表にもとずき運転するように電車区分会斗争委員被告人高橋輝男より指示されて運行されたものであり、第二号電車は当日は平常なる第二仕業担当が所定であつたので、電車区分会斗争委員被告人鈴木千代次から所定の二ダイヤのすじで運転するよう指示されて運行したものであり、第一、二号各電車共通常の電車との相違については業務命令に反している電車と同命令に反していない電車ということの外に本件電車には罷業時であつたため妨害紛争を乗り切るために多数の者が乗車しておつたに過ぎず通常の電車と異ることなく、且つ右各号電車は故障の無視、信号の不遵守等注意義務の違反もなく、スピードも通常であつたから特に危険があつたということはできない、単に義務命令に反したという一事を以てしては、運行電車自体の往来危険を認定することはできないとする。

しかしながら、この見解の失当であることは、原審証人柴内禎三、同奥康太郎、同高野精夫、同溝渕辰雄等の各証言に徴しても極めて明らかである。即ち、右各証人の証言を要約するに

(イ) 人民電車は、新橋管理部において、計画し命令した電車ではなく無計画な電車である。従つて、当局の計画した正常運行中の線路上に動力のある障害物が進入したのと同様である。線路上に石その他の障害物を置く行為が電車往来危険を発生するは勿論本件の場合には巨大な動力のある障害物と見られるから危険が発生する。

(ロ) いかなる危険が発生するかについては、

1 無計画な電車であるから正常運行を混乱させる。

2 運行の混乱は危険発生の第一歩である。

3 作業計画を混乱させることは、列車扱いの適正を欠き運転事故の原因となる。

4 線路巡回の線路工夫が枕木の取替をしたり、電力行手が架線工事をしていたとすると人民電車それ自体に危険があつた。

5 当時京浜線は電車の運転が行われないことになつていたので踏切においても危険の発生が考えられた。

と証言しているのであつて、これらの証言に照しても、唯熟練した運転手が信号を守つて運転するからといつて、決して危険発生の可能性が全然なかつたという原判決の判断は明らかに誤れるものであると言わざるを得ない。

ましてや信号を守つたと称しているけれ共、人民電車が東神奈川駅を出発するにあたつて、原判決も認定した通り、同駅信号係松本福蔵、同鈴木照夫に対し、被告人等多数の威力を示し同人等をして業務命令に違反し出発信号機を進行信号現示にするの已むなきに至らしめているのであつて、かかる行為を以て信号を守つたということができるであろうか。人民電車の運行は、その出発の当初の段階において既に信号を無視したものであつて、原判決の所論には誤がある。

又被告人中多数の者が、当初、人民電車の運行に危険を感じていた旨供述していたのである。即ちその二、三の例を挙げると次の通りである。

(イ) 被告人砂山和男に対する裁判官福森浩の尋問調書中「人民電車が正規の業務命令に違反して動かしているものであるとすれば、相当な電車運行上の危険があるものと考えたので特に注意して運転した」旨の記載

(ロ) 被告人市川晃の検察官横山唯志に対する第一回供述調書中「人民電車を運行することによりダイヤを混乱させ他の正常のダイヤで運転中の電車に危険を及ぼすということは予想された」旨の記載

(ハ) 被告人片岡敏男に対する裁判官福森浩の尋問調書中「人民電車の運行は他の電車の往来及び踏切保線電力等の業務に危険をもたらすことは知つていた」旨の記載

(ニ) 被告人三橋奎次の検察官高橋文雄に対する第一回供述調書中「六月十一日自分が乗務した電車(第二号人民電車)は他の正常のダイヤで動いている電車のダイヤを乱し危険を起す虞れが生ずることは予想された」旨の記載

猶右の他多数の被告人において右同趣旨の供述がなされているのである。

原判決はかくの如く多くの証人の証言や、被告人の危険ありとする供述があるのに拘らず、これを排斥しているのであるが、かれらがいずれも国鉄の業務に専従している者であつて、危険の有無について通常人よりもより正確にこれを判定する智識と経験を有するものであることを考慮するとき、原判決がこれらの証言や供述を排斥して、危険なしと論断したことは、われ等の到底納得し難いところである。

又本件の旧第一審判決を破棄した昭和二十六年十月三十日言渡しの東京高等裁判所第十刑事部はその判決理由の中において「原判決が電車往来危険の公訴事実を無罪と判定した窮極の理由は、要するに原判示人民電車第一号及び第二号の運行は、所轄新橋管理部当局の業務命令に違反して為されたけれども、その運行の計画及び実際において平常の場合と同様の国鉄の所定の法則に従つたものであるから、他の電車の往来に障害となつたとはいえず、衝突等の事故発生の可能性あるとは認め難く、又被告人等に同罪の犯意があつたことも認め得ないというに帰する。

そこで先ず、本件人民電車の運行が電車往来危険発生の可能性を有するや否やの点につき審究するに、一件記録殊に論旨援用の諸証拠を綜合考察すれば、右人民電車の運行が、その行為自体の性質上、従来の経験則に照らし、絶対に他の電車の往来に障害を及ぼす虞れなく、従つて衝突等の事故発生の可能性が絶無であるとは断じ難い。蓋し国有鉄道の如き公共企業体の運営は、凡て業務命令によつて統轄せられ、電車の運行においても、右命令の下に所定のダイヤに基き整然たる秩序と渾然たる調和とを保ちつつ、恰も全一体として一糸乱れざる作業を遂行すべきものであつて、苟も業務命令に違反するような電車の運行は、所論の如く正当なる業務行為と認め得ないのは勿論、右違反行為の画く波紋は、いわゆる一波万波を呼んで運行全線にわたり各列車間の有機的連繋を鈍らせ、正常なる電車の進行計画に狂いを生ぜしめ、延いて同区間の電車往来に危険を生ずべき状態を惹起する虞れのあることは、これを看取するに難くないのである。」と説述しており、誠に右判決に述べられた通り、人民電車が斗争委員から国鉄所定の運行表中のあるダイヤに従つて運転すべく指示されたとしても、それは国鉄当局には全然知らされず、正規のダイヤに基く電車ということはできないのであつて、かかる正規のダイヤに基かない電車は他のダイヤ全体に影響を及ぼし、運行秩序の混乱を生ぜしめるのであつて、運行秩序の混乱は衝突等の危険の第一歩であることは経験則上多言を要しない所であり、人民電車の運行は電車往来危険罪の危険を生ずる虞れある状態を作為するものであるといわなければならない。

二、次に危険発生の態様の前記(二)と(三)の場合である運行する電車と他電車との衝突等及び運行により生ずる他電車相互間の衝突等の点について、原判決は、第二号電車についてはその前後に全く電車が運行されておらぬのでこのような危険は生じないとして、第一号電車について、同電車の運行により、上野駅、品川駅で通常の電車の運転整理がなされ、又同電車の運行により山手線、京浜線(特に田端、田町間の両線の併用線区間)において、第一号電車と他の電車との間の時隔乃至第一号電車運行に原因して生じた電車間の時隔が一分乃至二分(前記併用区間においてさえ電車と電車との当時の通常時隔は四分)に短縮した事実を認め、そのような事態が電車の衝突、顛覆等の実害を発生すべき虞れのある状況を作為したといえるかどうかの点について検討を加えた上、電車の運転整理をするが如きは日々行われ、むしろ通常の状態であつて、その都度これを以て電車往来危険罪を構成すると見るのは失当であり、本件第一号電車の運行に原因して電車の運転整理が行われたとしても同電車が通常のそれと同様運転上の諸規則等の遵守する限り右の一事を以てしては未だ違法な危険の発生ありということは出来ないとしているのである。

然し乍ら、刑法第百二十五条所定の危険を生ぜしめたものとの規定の危険の解釈につき、違法なる危険と然らざる危険とに区別しようとする原判決の見解は、法律の解釈を誤つたものであることは、既に第一点において詳論した通りである。

更に原判決は、時隔短縮の事態について、運転法規では昭和二十三年八月五日達第四百十四号運転取扱心得及び同年東達甲第百六十一号運転取扱心得細則によつて、自動閉塞信号機設置区間では、停止信号により停止した列車は停止信号中においても、信号現示箇所を越えて進行してもよいと規定していて、所謂一閉塞区間における二列車の存在とそれによる列車間の時隔のダイヤ面の最短限以上に短縮されることを予定しており、又本件当時のダイヤ面によつても田町駅及び東京駅に一分の時隔のものと二分の時隔のものとがあつたから、電車の時隔が一分乃至二分ということは関係規程や慣行上許容された通常の状態であるから、これを違法な危険とは称し難いと判決しているのである。

原判決の右所論は、異常の事態を捉えて通常の状態となしているものの如くであつて、これ又到底納得出来ない。成程赤信号を突破して進行する場合も例外的に認められているけれ共それ自体非常に危険なるため、厳重なスピードその他に制限と条件がつけられておるのであつて、原判決の見解は危険予防のための諸条件がつけられているのを無視した議論である。又ダイヤ面で一本か二本特例的に時隔一分乃至二分の電車があつたとしてもこれは特例であつて、当時の通常ダイヤでは田端、田町の併用線区間でも時隔四分であつたのである。この特別の例を挙げて通常の状態であると論断している点は、吾々の全く理解出来ない所であり、承服し難い所である。

尚、又無閉塞運転や時隔の一分乃至二分えの短縮が例外的に屡々起るからといつても、その故に危険が危険でなくなるということが何故にいわれ得るのであろうか、甚だしい誤解ではあるまいか、無閉塞運転や時隔の短縮が危険発生の第一歩であることは、前掲証人奥康太郎等の各証言でも明らかにせられている通りであり、又東京高裁判決もこの点について、その判決理由中に「本件人民電車の運行は、所轄新橋管理部当局の業務命令に従わず、その意に反して敢行されたこと明白である以上、他の正規の電車のダイヤを乱し、その運行区間全線にわたり、先行電車又は後続電車との時隔の短縮、一閉塞区間への二個以上の電車の進入(いわゆる無閉塞運転)等、適正なる電車運行の秩序を破り、因つて他の電車の往来に障害を与え、衝突等の危険を発生すべき状態を惹起する可能性のあつたことは、容易に推認し得るところである。」と説述しているが、これこそ正しい判断であるといわねばならない。

これを要するに原判決が本件人民電車の運行往来危険罪の危険を生ぜしめたものでないとし、その証明なしと認定したことは、事実の誤認であつて、その誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかな場合に該当するので、この点においても原判決は破棄せらるべきものと思料する。

(その他の控訴趣意は省略する。)

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